↓↓【前回の記事】↓↓
【おわり】
【最後に】
2025年二月現在も一度も両親とは会っていません。手紙も年賀状もアポなし凸も↑以降はありません。日々の中で両親の事を思い出すのはこのブログを書くときだけです。それだけ、私の中に両親はいません、考える暇もないです。そんな日が来るとは当時は全然思えませんでしたが…。まぁ、縁を切っても子供としての義務があったりするから、そこはうまく付き合っていこうかな、と思ってます。
母とのエピソードはまだまだありますし、父や兄ともしんどいエピソードもあるのですが、それはまたいつか吐き出させていただけたらと思います。でもね、怒りとか悲しみはさほど感じてないんです。今は自分の事でいっぱいいっぱいだからかな。なのでネタとして書かせて頂いて、私含めこんな人もいるのねーと思ってもらえるといいなと思います!
それと…「毒親」って限られた人がなるわけじゃないと思います。誰にだってなる要素が大なり小なりあって、それが発動するのかしないのかも親子関係や置かれている状況によるんだと思います。ただ、「毒親」への覚醒確率が上がってしまうフラグはやっぱりあって、そのひとつ「自身も毒親育ち」という要素はかなり強力な気がします(毒親育ちの皆さんが必ずそうだ、という事ではありません)。だって、子育てのリアルな手本は自分の親しかいないし、そうされてきたからそうすることを自然にしてしまうんです。怒鳴られてばかりなら、やっぱり怒鳴ってしまう。叩かれたり高圧的に接してこられたら、やっぱりそうしてしまう。ここら辺は本人も無意識だと思うし、コントロールが効かない領域だと思います。おそらく、やらかしてから気がつくんです。
やらかして、子供が悲しんで泣いていて、ああどうしてこんな事しちゃったんだろ、と自分を責めて責めて自分にイラついて。
そして自分にイラついてる気持ちをどうにかおさめたいのに、目の前でまだ子供が泣いている。なんでまだ泣いてんの、気持ちを落ち着けたいのに、泣きたいのはこっちなんだよ、うるさい!泣くな!とさらにヒートアップする。
そう、親は自分にイラついて子供に追い討ちをかけているんです。子供にイラついてるんじゃないんです、自分になんです。
でもそれに気付けない。
「私、今何にイラついているんだろう?何が私をイラつかせたんだろう?」と一旦立ち止まって深く掘り下げることができたら、追い討ちはかけなくてすむんじゃないかな?と思ってます。
次はそんな話を書こうと思います。
母もね、そのイライラの原因を他人のせいにしたんだろうなと思ってます。立ち止まって考える余裕もなかったろうけど、一度でも立ち止まってくれたら何か違ったかも。
ここまで私の両親への壮絶な愚痴にお付き合いくださってありがとうございました!少しでも読んでくださっている方がいると思うと、本当に気持ちが救われる思いです。また愚痴を書く事があるかと思いますので、お優しい方はどうぞお付き合い頂ければと思います。本当にありがとうございました!
↓次のお話も頑張ります!ブログ継続の励みになります!!ポチッと応援よろしくお願いします!
↓ランキング参加中です!こちらもポチッと応援よろしくお願いします!