【当時の話】
母は私が小学校一年の時から、ランドセルを開けては手紙やメモ、交換日記などを確認して内容について私に言ってきていました。これ、翌日の授業の準備の手伝いでランドセル開けたのかな?と思ったのですが、教科書とかはそのままいじってなかったんですよね。私入学当初は弄られキャラでよく泣いていたので、学校の先生から親に連絡がいっていたのかもしれません。それで学校での様子を知りたくてランドセルを...という事かな?それなら、学校どう?とか聞けばいいだけの話ですね。この頃の母は仕事で遅かったので、学校の話を聞いたり言ったりする習慣はありませんでした。
あと、徹底的に私の友達付き合いを否定してきていましたね。おそらく自分が人付き合いが苦手なのと、子供を通してその保護者と関わる機会がないようにしたかったんだと思います。
↑のやけどや怪我は小学校の時の一番ひどい外傷です。やけどは自分で「病院行きたい」と言って一人で行き、殴られた怪我は病院にいかずそのままでした。(メガネがまっすぐかけられないほどの頬の腫れでした)
多分親は「仕事が休めないから」学校に行かせたんだと思いますが、よく聞く虐待家庭だと学校に行かせない事が多いようですね。(怪我などが重い場合はなおさら)
第二次性徴はもう「毒親あるある」ですよね。少し前に、YouTubeの岡田斗司夫さんの動画で「毒母は、自分のテリトリーに他に女がいると敵意をむき出しにする」という内容のものがあったのですが、それを観て、そうだったのか!とすごく納得しました。
母との関係にズレを感じ始めたのは、まさしく↑のスポーツブラの話をした後からでした。恐らくここから母のなかで私は「子供」から「女」にカテゴライズされたのでしょうね。
親が宗教に入っていた、と気づいたのは大人になってからです。(独り暮らしの時に同じ宗教の人が自宅に勧誘しにきた)ネットで調べてみると、母が入っていたのは結構マイナーな宗教のようですが、毎月ご寄付をしていたようです。私は小学一年~六年まで月に数回子供訓練に行かされていました。(毎日行けと言われていたが、無理だった。母自身も毎日は行けていなかったようです)子供訓練もお祈りも朝が早くて...。
この後もう一つ違う宗教にも入っていましたが、そのうちやめてこれ一本になったようです。この団体には絶縁する時にもまだ在籍していました。(私の名前住所と夫の名前も登録しているようでなので...今後が心配です)
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